法然上人御絵伝(一幅図)
1-1
父母仏神に祈りて
上人を懐妊したまふ。
1-2
上人誕生白幡掠来臨の瑞あり。

1-3
上人幼名勢至丸堂いひし。
1-4
定明夜討して父時国を讐(しゅう)す。
1-5
父時国害後小児に遺言せたまふ。
1-6
定明逐電の後正念往生せり。
1-7
観覚の室に入りて学ぶに
一を聞いて十を悟る。
1-8
進上大聖父肖像一躰と
志して感覚より児を叡山に送り給ふ。
1-9
法性寺殿下道に小児に遭て
其尋常なりぬ姿嘆したまふ。
1-10
小児持宝房の室に入る
1-11
観覚の室に入りて学ぶに
一を聞いて十を悟る
1-12
持宝房児の器量を称えて
皇円のもとへ送り給ふ。
1-13
小児十五歳剃髪光壇授戒。
1-14
上人十六歳まで
天台三大部を学び給ふ。
1-15
十八歳西塔黒谷慈眼房の室に遁世。
1-16
圓頓戒體問答師の
慈眼房弟子の上人に伏せたまふ。
1-17
二十四歳さが清涼寺に
来嶺求法玉功の祈請
したまふ。
1-18
法相の碩学蔵俊僧僧正
上人より二字を賜る。
1-19
華厳宗の名道慶雅法橋
もまた二字をあたふ。
1-20
了台の法橋問答し給わんとて
御室より招請上人深く辞退し給う
1-21
上人諸宗に通達し自解の趣を
門人に物語し給う
1-22
十往心論の義を弘法大師と夢中に
問答ましませり。
1-23
中ノ川の実範は東寺の流れ人なり
上人より二字を給う。
1-24
上人禅宗に深く通達したまふ。
1-25
寶地房より上人の知識を称賛し給う。
1-26
上人一切経を被覧五遍の
後称名念仏浄土宗に
納入したまえり。
1-27
師の慈眼房と称名観佛勝劣
の問答あり。
1-28
叡山黒谷退出し東山吉水に住し
浄土宗を開き給う。
1-29
善導と慧心の勧め従う
称名を宗とし給えり。
1-30
念仏7万遍の日課を称する
人々宝子余言の晦あらんや。
1-31
〇〇〇〇〇願土乃義を
願わんとて
此の浄土宗を立てたまひし。
1-31
信寂房に聖浄二論を宣旨
東西〇〇〇〇御示しあり。
1-32
上人の命によりて俊乗房
唐土五祖真影を披覧したまう。
1-33
法事三昧したまう時普賢菩薩出現。
一切経: 経蔵、律蔵、論蔵の三蔵及び
その注釈書を含めた仏教聖典の総称
法性寺 京都市東山区にある浄土宗の寺。
925年藤原忠平の創建。藤原忠通が出家後に
住み、法性寺殿と言われた。
法橋(ほっきょう)
法眼の次に位し、律師に相当する法位。
法相宗 中国・日本の一学派。南都六宗の一。
奈良の興福寺、薬師寺を大本山とする。唯識派。
1002法然上人御絵伝(一)
紙本複製緞子表装
182×70.5cm(軸先まで)
桐箱入四幅セット¥480,000
前へ 次へ
圓頓戒
円満にして偏らず、時を経ずに
速やかに成仏すること。天台宗で、その究極
とする教えを指す。

法然上人御絵伝解説